ゆいるの「ありがとうごジャいま〜す」

ちゃる おしょっすむにだ〜 (*^ ^*)/




TOP Class 7月号 後編

2011년09월13일 (Tue) 12시51분13초

チョ・ヨンピル先輩が間接的なメントの役割をしてくださいますよ。
道を提示してくださるからです。しかし会う機会が多くなくて残念です。
ユ・ジェハ先輩やキム・ヒョンシク先輩が生きていらっしゃったら
良かったんでしょうが。そばで導いてくださる方がいらっしゃらなくて、
試行錯誤をたくさん経験しました。
後輩たちにはその時間を短縮させてあげたい気持ちが切実です。
それで後輩たちの面倒を見るようになるようです。
私が5年、7年かけて習得したことを6カ月で習得できるようにし、
残りの時間は音楽に情熱を傾けられるようにします。

 シン・スンフンは韓国大衆歌謡界の心強い中心人物だ。
 彼は国内アルバム市場が盛況だった1990年代、
 出すアルバムごとに空前のヒットを記録して新記録を
 塗り替えて来た。
 3集から7集までのアルバムが皆100万枚以上売れ、
 最多連続ミリオンセラー歌手になった。
 10集まで合算すると1400万枚が売れた。
 そして14週連続1位になりギネズブックに
 載ったりもした。この20年余りの間、1〜2年ごとに
 こつこつとアルバムを出した彼はスランプのない歌手
 として有名だ。彼の音楽的感性はなお20年前のままだ。
 ファンは歳月が流れても古くならない彼の音楽の中で
 おぼろげな初恋の香りを思い浮かべ、ときめきと
 甘酸っぱいロマンチックがよみがえり、
 少女的感性に戻ったりもする。

 彼はずっとある女性に対する極めて純潔な愛を
 歌ってきた。6年間心から愛した女性、
 彼が音楽をするのが嫌で去った女性。
 初恋の彼女は別離の痛恨の苦痛とともに
 こんこんとわきでる音楽的インスピレーション
抱かせてくれた。
以後彼は5集まで次から次へと愛と別離の悲しみを歌ってきた。
しかし彼女が違う男性と結婚することで彼のミューズ(音楽の女神)は消えた。
5集「僕より少し高い所に君がいるだけ」「伝説の中の誰かのように」の曲を書き、
歌いながら彼女を完全に送りだした。これ以上彼女は彼が愛することが
できない人だったし、愛してもいけない人だった。「生まれ変わればこそ会える存在」
「伝説の中に葬られた存在」になってしまったのだ。ミューズが消えると、
詞が浮かばない。歌詞がまったく出てこなかった。そうしているうちに
最近久しぶりに「二度別れるということ」を書いた。
偶然に初恋の彼女の手紙を見つけた一瞬に勢いよく出てきた歌詞だ。
愛を歌うシン・スンフンにとって愛とはなにか。聞いた。

「本当に分からないです。音楽が何なのと聞かれて答えることができないことと
同じ
です。以前は愛というのは思いやりだと思っていました。
長い間他の人を愛さなかったことも一種の思いやりでした。
私と係わるスキャンダル記事が出ればもし彼女が見るかもと初めから
そんな余地を作らなかったんですよ。その友達が結婚したという話を聞いて、
『やっと違う愛に出会うことができる』と思ったのですが、簡単ではないです。
一人だけを見守った習慣が身についた
ようです

シン・スンフンの歌は悲しい。楽しい軽快な歌もシン・スンフンが歌えば悲しい
しかしその悲しみは20年前と今の歌を比べてみると種類が違う。
20年前は悲しみそのもの、あるいは未練でいっぱいの悲しみだとしたら、
現在の悲しみはあっさりとした悲しみと同時に透明な悲しみだ。
悲しいが悲しまない
「エイブルビ」を追い求めて来た結果でもある。
彼は「記述式の問題で『我が国で一番悲しいバラードを歌った歌手は?』
という問いに躊躇なしに『シン・スンフン』と言われる歌手になりたい
と言った。
よく歌手は歌に似てくると言う。悲しい歌を歌えば人生も悲しくもなるという。
歌にその人の人生の旅の行程・紆余曲折をそのまま歌う歌手がどれだけ多いことか。
しかしシン・スンフンは例外だ。彼にとって歌と人生は別だ
歌は悲しく、人生は楽しく」が可能だ。彼の知人たちは皆、
シン・スンフンは普段性格が明るく、ユーモラスだと口をそろえて言う。
彼は「音楽をする時はどっぷり入り込んで、上手に抜けだす」と、
永い時間をかけて習得した」と言う。
彼はこの間あるインタビューで「人生を歌う歌手になりたい」と言った。
裕福な環境で平穏に過ごした彼が人生を歌う歌手になると言う。
自ら経験の限界に縛りつけることではないか。
彼は太田で事業をする父親のもとで二人の姉と弟と共に何不自由なく成長した。
高校の時、父の事業の情況が悪くなり暮らしが傾き、大学の授業料を稼ぐために
ライブハウスを転々として歌を歌った。

そのころから彼はすでにスターだった。6年間ライブハウスで歌手として
活動をする間にもらったファンレターが7000余通にいたった。
彼の音楽性は両親から受け継がれた。彼の両親は歌の実力があり、
姉たちも小さいころ童謡大会を総なめにした。彼の両親はシン・スンフンに会うため、
2週間ごとにソウルに出てくる。彼にきいた。経験の限界でやってくるコンプレックスはないのか。

間接的な経験はとてもたくさんしています。映画もたくさん見て他人の話も
たくさん聞くでしょ。映画はロマンスからホラー、オムニバス、短編など
ジャンルを選ばずいろいろ見ます。またどんな席でもいくら面白くない話でも最後まで聞きます。我慢して見聞きすれば得るものもあるでしょ」

シン・スンフンをインタビューしながらもっともたくさん書いた単語は「まごころ」だ。
「最近とても忙しいが私の『まごころ』がファンたちに通じているようで、
疲れることはない
」「光州ゲリラコンサートの時、他の歌手たちは
大概3・4曲を歌ったのに、私が1時間20分の間コンサートをしたことは
ファンたちに私の『まごころ』をわかってくれたことに対してのありがたさだった」
「5集まで初恋の歌を歌うことができたことも『まごころ』でわきでたものだった」と。
また、こんなことも言った。「デビュー21年目の責任感はまごころの別名」だと。
デビュー以降ずっとトップの地位を守り続けてきたシン・スンフン。
彼にはとても大きい宿題が残っている。「大衆が好む名曲」を作ることだ。

「人々は『見えない愛』が名曲だと思うでしょうが、口ずさんで歌うのが
難しいなら名曲ではないでしょ。大衆の感性にまんべんなく訴えながらも
どの場所にも合って、簡単に口ずさんで歌うことができる歌
を作りたいです。
春夏秋冬の『ブラボー・マイ・ライフ』みたいに」

シン・スンフンは墓碑銘も考えてある。
歌を知っている歌手、ここに眠る
彼はわかりやすく説明した。
「『歌が上手な歌手』ではなく『歌を歌うことを知っていた歌手』だよ」

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いやぁ、知ってることも多いとはいえ、改めての偉大さを感じ取れた
そんな記事でした。

デビューして20年、頂点を極めてもまだまだ上の目標を持ち、
進んでいこうとするところが、やっぱりウリです。
墓碑銘も考えてるってのも「らしい」なと思う一面でした。

ところで、春夏秋冬の『ブラボー・マイ・ライフ』ってご存知でしたか?
そんな歌手すら知らなかったのですが、見つけてまいりました。
これ聴いてたら、メロディーが離れなくなってしまった
どの場所にも合うかどうかは私にはわからないですが、
メロディーは簡単に口ずさめます。

TOP Class 7月号 前編

2011년08월30일 (Tue) 12시41분33초

みなさん、こんにちは

久しぶりのネタはってことで。
以前韓国で発売されたTOP Classという雑誌にが登場。
しかも、表紙やし〜お友達から頂戴しました

一部私の解釈でわかりやすくするために意訳も入れますことをご了承ください。
二回に分けてご紹介したいと思います。

           


隣に住む模範生
みたいで、司法考試に合格したおじさんみたいな人・・・
シン・スンフンと仲のいい後輩であるタレント、パク・キョンリムが
シン・スンフンについて言った言葉だ。
完璧主義者」で正しいことしかしない男という評判がついてまわる
シン・スンフンはやっぱりそうだった。インタビューを要請すると
シン・スンフン側では二つを要求して来た。前もって質問を送ることと、
写真撮影の後、彼が選んだ写真だけ使うこと。
「前もって質問を送ってもらうことはお互いに対する礼儀だと思います。
私はインタビューの方向性が音楽中心なのか、ヒューマンストーリー中心なのかによって
心の準備をしなければならない、記者も私に対する常識と
最近の論点を知ってインタビューに臨めればいいと思う願いからです。」

昨年11月にデビュー20周年を迎えたシン・スンフンは全国ツアーコンサート
最後のハイライトを控えている。17都市を回り、35回のコンサートを終えた彼は、
6月10日・11日世宗文化会館で50人組みオーケストラと共に
「ザ シン・スンフンショー」のフィナーレ舞台に立つ。
彼は自分のコンサートのために団員を直接募集し、コンサートで歌う歌はみな、
シン・サンウ音楽監督とともにオーケストラバージョンに編曲した。
フィナーレ公演を10日後に控えたシン・スンフンに会った。
彼はMBC TV「偉大な誕生」のメントと同時に審査員の役割まで重なり、
慌ただしく見えた。

シン・スンフンのイメージは「偉大な誕生を」を通して再び照らしだされた。
芸能プログラムはもちろん、TVの音楽プログラムにほとんど出演せず、
外出もあまりしないシン・スンフンはその間、音楽人としてのイメージだけが
知られながら、ちょっとこわばったイメージで照らしだされていた。
ところが「偉大な誕生」メンティ(教え子)たちを取りまとめる場面で、
多情多感
な普段の姿
がそのまま現われた。苦楽を共にしながら、
教えたメンティたちを自分の一存で落とす時はメンティたちを抱えこんで
一緒に泣いた。 カリスマをもって厳しく短所を指摘して泣かせてしまう
他のメントたちとは違い、彼は終始一貫激励と褒め言葉だけ飛ばした。

「最初、私は存在感のない審査委員でした。参加者達にずっと王冠(合格の象徴)を
与えたからです。教えなかった子達に面と向かって非難することはありえないことです。
方法を知らないから短所になるんですよ。長所をずっと浮き上がらせれば
短所がカバーされます。短所は一旦置いておいて、長所を浮き上がらせて
自信を持たせてあげるようにすることが重要だと思います。私は教えるのが面白いです
メント制がなかったら、この企画に合流することはなかったでしょう。
誰かを教える、私の教えを受けて成長するのを見てみたかったんですよ。」

彼はメンティ(シェイン、チョ・ヒョンウ、ファン・ジファン、ユン・ゴニ)を
自分の所属社に入れて正式に教えるのはどうかという話も多かった。
しかしシン・スンフンは考えが多い。

「私ははじめから彼らの音色を見て選びました。四人みんながずば抜けた音色を
持ってたんです。しかし私が直接この子達を教えるのがベストなのかを
考えて見ると自信がなかったです。新人を育てた経験がないうえ、
私が直接教えれば最近のはやりの音楽ではない、自分の固執が混じった音楽を
させる
のが見えているからです。それでは音楽性はあるが一流にはならないでしょう。
それが果してあの子達に良いことなのか、わからないです。」

マネジメントしながらも自分の立場よりメンティ側に立って
悩んでくれるシン・スンフン。自己がはっきりしていて暖かい心を持ちながら、
崩れない姿で定評のある彼は、後輩たちのカウンセラーとして有名だ。
ピやイ・ビョンホン、コ・ソヨン、サイ、 リュ・シウォンなどが悩みをかかえて
彼を訪ねる。酒の席で一度も崩れることはなく、人生最大の逸脱が
十数年前のアメリカでの無断横断」だと冗談半分に言う彼は根拠のない噂が多い。
「シン・スンフンはスーパーへ行く時もスーツを着る」というふうだ。
しかし実際シン・スンフンは「正しいことしかしない男」のイメージが
内心悔しいようだ。

「後輩たちが放送に出ると、私がもともとやさしいから、『あ、スンフン兄さんは
そんな風に言っても何にも言わないんだ』と冗談でそう言ったものです。
実際にはそんなことはないですよ。普段はジーパンにTシャツ
という格好でいます。
マネージャーたちが身なりにちょっと神経を使ってほしいというくらいです。」

彼をメントにする後輩は多い。それなら彼のメントは誰だろうか。

(さぁ、は誰と答えるでしょうか。次回をお楽しみに!)

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「偉大な誕生」私はKNTVで先日始まった字幕版を見始めました。
韓国の放送分をちゃんと観れてなかったので、とっても新鮮。
まだ日本の放送ではのメントぶりまで至っていないので、
ちょっと訳がおかしいかもしれませんが、お許しを。

いやぁ、完璧主義なのは知ってましたけど、すごいですね。
インタビュー内容も事前チェック、終わってからの写真もチェックって
徹底してますね。
(コンサートで公開したようなNG写真を世に出さないためなのか
ホンマに無断横断(それも韓国ではない)だけなんでしょうか。
ぜひ、お酒の席ではじけたとか見てみたいですね〜。

The Shin Seung Hun Show 2011 -My way- レポ ぱーと3

2011년07월08일 (Fri) 12시54분17초

2部が始まりました。

14.나비효과

濃いグレー?のジャケット&パンツ、キャメル色のベスト、オフホワイトのドレープっぽいシャツ、ジャケットからはシャツとは別の白っぽい布!?が出てました
その布・・・不要だと思うんですけど

クリコンと同じコーナーです。
音量測定器がまた登場、まずは声を出してみてくださいと。
ソウルで106出た(そうだったんだぁ)し、東京はこの間102だったよと
測ってみたところ・・・
名古屋106 大阪108  さすが大阪は声がデカいなぁと感心しちゃいました。

で、POPSの候補曲から一番歓声のあがったものを歌うってことで・・・
たぶん候補曲も同じだったと思います。
HONESTY
IF
BLOWER'S DAUGHTER
VINCENT
NOW AND FOREVER
NOTHING'S GONNA CHANGE
FAITH
JUST WHEN I NEEDED YOU MOST
SHE
BECAUSE I LOVE YOU GIRL

私、若干の強弱はあったにしろ、全部キャーって叫んでました。
だって全部聴きたかったし
そしたら「全部叫んでる人がいる」って。
そんなん、みんな全部聴きたいに決まってるやんか。
予測どおり、メドレーで歌いますといって、
15.NOTHING'S GONNA CHANGE
16.FAITH
17.VINCENT
18.BECAUSE I LOVE YOU GIRL
(どうせなら全部メドレーにしちゃえばいいのに)

それで納得する観客ではありません、客席のあちこちから「SHE〜」とリクエスト。
19.SHE
(ここは を置いて)
大阪では投げキッスのサービスもありましたよ。

で歌うといい曲として
20.오랜 이별뒤에
途中まででやめてしまったのが残念
ここまでは世宗と一緒ですが、日本では
21.SWEET MEMORIES
も歌いましたよ

次は、エレキギターが登場です。
ボヘミアン・ラプソディやママなどを歌い(合ってるかな?どうも洋楽には疎くて)
観客大喜び。以前、トロットで盛り上がってたのを思い出しました。
そして・・・
I BELIEVEまでロック調
したらさらに盛り上がり
「今度から全部エレキギターで歌います」とが言ってました。

20周年でダンサー・シンをやったから、21周年はロッカー・シンってのはどうでしょう

そして、エレキギターの曲ということで、
22.우연히
これも世宗と同じなんですが、
23.初恋
が登場したのは日本ならではですね。

みなさん、舞台前方や客席中央に「カンペ」があるのはきっとご存知だと思います。
オリジナル曲(自分で作ってるんだけど)も結構見ながら歌ってるんですが
日本語曲はよーく見てます。
そして名古屋では・・・途中でワンフレーズとんじゃいました
そんな に妙な親近感を感じたゆいるでした。
(といいながら、大笑いしてましたけど

そのまま曲を2曲
24.엄마야
25.처음 그 느낌처럼

これからは「シン・スンフンらしい曲」ということで、
まずはジャケットを着て外見から雰囲気作り。
ユ・ジェハの話になり「作詞・作曲・歌 ユ・ジェハというのにあこがれ、
自分もそのようにやってみたいと思った」という話、
このコンサートの曲も日本語の曲以外は全部自分で作ったんですよと紹介されました。
(よく知らない人もいるんだから、日本語の歌も自分で作ったのがあるんですよって
紹介すればよかったのに)

さぁ、皇帝シン・スンフンの醍醐味を味わう時間です。
26.보이지 않는 사랑
27.그 후로 오랫동안
28.言葉にできない(ここでこの曲もってきますか〜
名古屋・大阪とあまり声の調子が良くないなぁと思ったのは前述の通りですが
このあたりになってくると観客の後押しもあってかの声も伸びてきました。
言葉にできないの「ラ・ラ・ラ〜」なんてサイコー
勝手に思っておりました。

そして、アンコール前の最後の曲です。
今回の公演中「縁」という言葉をよく口にしたですが
「友達という縁から運命に変わると信じたい、歌手シン・スンフンでした」

と締めくくりました。
そうで、私たちが出会ったのは運命なんです〜。
29.MY WAY

アンコールでは、ピンクのシャツ、茶色のネクタイ、ベージュのベストでした。
名古屋ではにとって、なつかしい顔が観客席にありました。
よく公演で話題になる、最初に日本からやってきたファンの話。
その中の1人である男性がちょうどいらっしゃっていて、
その人を見つけてその人を見ながら、昔の思い出を話してくれました。

いずれは日本進出を考えたでしょうけど、その方たちの応援がなければ
私たちがシン・スンフンに出会えていたかどうか・・・。
本当に感謝・感謝です。

アンコールに選んだ曲は「愛してる」というのは照れくさくて言いづらい、
でも別の言葉でなら言える・・・そんなテレ屋ながファンに送る歌でした。
30.YOU ARE SO BEAUTIFUL(日本語)
会場で配られたCDもこの曲でしたね〜。
が最近この歌にハマってます
。(遅いって!?)

バタバタと駆け抜けていった今回の日本ツアー。いつもは大阪から始まり、
東京で終わるのに今回は逆。いつもはファイナルを東京まで観にいっていたのに
大阪で迎えるというのはある意味新鮮でした。
贅沢を言うなら、もうちょっと余裕をもったスケジュールなら
にもファンにも(いや、私にもか?)よかったのにとは思いますが
とにかく、7ヶ月のツアーの最後を日本でしてくれたこと、本当に嬉しかったです。

これからは冬眠シンですね。
また私たちに素敵な姿、素敵な音楽を披露してくれることを期待しつつ
外見まで冬眠モードにならないで〜
と祈りましょう。



The Shin Seung Hun Show 2011 -My way- レポ ぱーと2

2011년07월06일 (Wed) 12시57분29초

のお話です。

といえばというイメージが、最近女のファンが多いのか、
徐々になくなりつつありますが、やっぱりがよく似合いますね。

20年前のあるの日に10分で作った曲
7.오늘같이 이런 창 밖이 좋아
大阪ではこの曲を作った時の年齢をやたらと若く言ってたか、
とにかく年齢をごまかす発言をして、客席から「えーっ」って声をいっぱい受けてました。
すっかりおなじみになった指で雨音をつくる作業、
私にとってはコンサートの楽しみの一つになりつつあります。

この歌の後半が客席におりてきて観客の1人とツーショット、
名古屋のときにはちょうど私の数列前に登場したので、後ろでこっそり(いや大々的に)
してましたが、韓国の公演と同じく、その写真は
のヘンな顔しか映ってなかったという設定でした。
(韓国と同じサジンだったと思います)

以前ソウルで見ましたが、OK写真とNG写真のご紹介。
何度見ても笑える

ダンス歌手は間奏の時に踊ってたらいいけど、バラード歌手はそういうワケに
いかないから、あごのラインがとても大事なんだと言ってました。
が言ってましたが、NG写真は昔の写真が中心、
年をとっていい顔になってるよねと。(めずらしいお褒めの言葉ですね

大阪では、生のが一番だよねというジャンさんの言葉に客席から
たくさんの歓声があがり、ご満悦のでした。

次は人生のメジャー/マイナーのコーナー
ここまでは今まで通りだったのですが、違うのはそれが日本の歌だったこと。
まずはメジャー
8.LOVE LOVE LOVE
マイナーは
9.まだ君に恋してる
こうきたか!

そして、人生の中のOSTとして
10.LOVE OF IRIS
以前よりドラマの場面が少なかったです。
ジュンちゃんなんて一瞬やったし。ちょっと寂しかったですね
11.사랑은 이렇게 오나 봐(テロワールOST)

さーてここで・・・日本でもやってくれましたタイム
始まる前にから直々にお願い。
会場と客席が近いからがおかしくても許してねと。
マイケルじゃないし、はずかしいなぁと言いながら始まりました。

名古屋では残念ながらピのRAINISMのみ(たぶん舞台が狭かったからだと思います)
大阪ではプラス1曲ありました。

ジャケットにマフラー、茶色の皮の手袋にサングラス・・・
相当暑そうしかも皮の手袋は
かわいいおててを強調してしまってました
とにかく一生懸命な姿に観客からは大声援

そしてそのまま曲ターイム
12.어긋난 오해
13.실수
もう1曲くらいI LOVE U X3あたり入れてくれるともっと燃え尽きられたのに・・・
と贅沢なことを思うゆいる、
ロミ&ジュリくらいしかまともに振り付けできない
「ロミオがない〜」と嘆いておりました

ここで1部は終了です。

2部までの間には、他のOK写真NG写真が紹介されました。
(あくまで個人的意見ですが、今回のツアーパンフってほとんど写真集、
名古屋では見本がないといわれて中身見ないで買っちゃいましたけど
いっそのこと、袋とじにでもして、OK写真&NG写真を入れておいてくれたら
疲れたときに見て笑えるのに・・・なーんて思っていました)

その後スクリーンにはこの20年でのが紹介されました。
いいこと言いますね〜ウリファンジェ
最初は友達だったけど、これからは縁ですってよ

お次は2部です。

ぱーと3につづく

The Shin Seung Hun Show 2011 -My way- レポ ぱーと1

2011년07월01일 (Fri) 12시55분52초

皆さん、こんばんは

名古屋、大阪とバタバタとかけぬけていったような気がします・・・。
名古屋で遊んで下さった方々、会場でお声かけてくださった方々、
ありがとうごジャいました


座間&NHK相当心惹かれましたが、ソウルにも行ったし、ガマンガマン
でもやっぱり「せめてNHKには・・・」と後悔しています。
その分、名古屋と大阪で4公演分の力を出したつもりです

今回はレポをしっかりやると宣言したので、名古屋では徹夜してでも・・・と思ったのに
わざわざ持参したの動きが遅くて、早々にあきらめてしまいました。
結局こんなに経ってしまいました。遅くなってごめんなさい
たくさんの方がのぞいて下さっていることがわかっていながら、
根性なしになったのか、ただ暑さに弱いのか・・・。

まとめてUPするつもりでしたが、一体いつになるのかわかりませんので、
小刻みにUPします。しばらくお付き合いくださいね

では、はじまりはじまり〜


今回の日本公演、イメージ的には
韓国の20周年ツアーの凝縮判+日本向けトッピングつき
というところでしょうか。
(2回しか行ってないので、違うのかもしれません)

NHKはそうじゃないですが、今回の会場は全体的にコンパクト。
客席と舞台の間も近かったと思います。(座間もそうだったと聞いています)

いつものの音からはじまりました。

女性コーラスが2人登場
1.전설 속의 누군가처럼
スクリーンでは1990年11月1日から公演日までの日めくりカレンダー?が
すごい勢いですすんでいます。
公演日のところにでカレンダーはストップ、登場
黒のロングジャケット(襟は黒のスパンコール)&パンツ
白のシャツ&ベストといういでたち。
(この間の世宗と同じかな?)

2.나보다 조금 더 높은 곳에 니가 있을뿐

3.I believe
しっとりバージョンからサンババージョンへ
日本公演ではめずらしく2番も韓国語だったような気がします。

客席からはシン・スンフンの声援がとまりません
ここでからのごあいさつ。

「前回の日本公演では、皆さんを感動させてあげると言っていたのに、
結局自分が感動してしまった

今回は皆さんを感動させられるようにガンバリマス
「初めてコンサートに来た方には、何で今までシン・スンフンを知らなかったのか
後悔させるようにしたい
といっていました。

名古屋では、の言葉をチャンさんがちゃんと訳さなかったか、
台本どおり進行しなかったのかで、とにかくから
죽을레?」(死にたいか?というイミに近いかな)なーんて、言葉が
もそんな言葉使うんやぁって変なところで感心してたゆいるでした。

それから・・・
「日本で最初のコンサートをして7年、そんな僕を支えてくれた人は・・・
(ちょっと間をおいて)皆さんです」にっくい言葉です〜

ソウルの公演でも言ってましたが、フランスの好きな詩
「私は100人が1回読むより、1人が100回読む詩を書きたい」
を紹介してくれるのはいいけど、フランス語でスクリーンに出されても・・・
と思ったら、次はカタカナでスクリーンに出してきた
わかるか〜!!!!
(韓国ではきっとハングルで読み仮名出したんでしょうね。もう忘れてしまいましたが)
会場大笑い
その後日本語訳の詩を紹介し、読む→聴く 書き→歌いに変換して、
場内から大きな拍手をもらっていました。

つかみOK満足げに見えたのは私だけでしょうか?

ではまた歌の時間です、
歌手は拍手をもらうために歌う」とも言っていたが次に歌うのは・・・

4.날 울리지마
5.Song for You
→やっぱり歌いましたか。かなりいい加減な振り付けでした
(大阪公演のとき、私の周りってコアなファンが少なかったみたいで
たぶんみなさん、私のフリをマネしてたと思います。ゴメンナサーイ)
6.너만을 위한 사랑
日本では、「君だけのための愛」は定番ですね。ある意味日本でしか聴けない歌
って気がして、それはそれでうれしいです。

ここでMC、名古屋でも思ったんですが、相当はお疲れの様子。
声の調子も万全ではなさそうでした。
それをわかっていてでしょう、大阪公演では「一生懸命歌うけど、
声がおかしくなっても笑わないでくださいね
」とわざわざ言ってました。

とりあえず今回はここまで。
次はのお話からです。

ぱーと2につづく