ゆいるの「ありがとうごジャいま〜す」

ちゃる おしょっすむにだ〜 (*^ ^*)/




TOP Class 7月号 後編

2011년09월13일 (Tue) 12시51분13초

チョ・ヨンピル先輩が間接的なメントの役割をしてくださいますよ。
道を提示してくださるからです。しかし会う機会が多くなくて残念です。
ユ・ジェハ先輩やキム・ヒョンシク先輩が生きていらっしゃったら
良かったんでしょうが。そばで導いてくださる方がいらっしゃらなくて、
試行錯誤をたくさん経験しました。
後輩たちにはその時間を短縮させてあげたい気持ちが切実です。
それで後輩たちの面倒を見るようになるようです。
私が5年、7年かけて習得したことを6カ月で習得できるようにし、
残りの時間は音楽に情熱を傾けられるようにします。

 シン・スンフンは韓国大衆歌謡界の心強い中心人物だ。
 彼は国内アルバム市場が盛況だった1990年代、
 出すアルバムごとに空前のヒットを記録して新記録を
 塗り替えて来た。
 3集から7集までのアルバムが皆100万枚以上売れ、
 最多連続ミリオンセラー歌手になった。
 10集まで合算すると1400万枚が売れた。
 そして14週連続1位になりギネズブックに
 載ったりもした。この20年余りの間、1〜2年ごとに
 こつこつとアルバムを出した彼はスランプのない歌手
 として有名だ。彼の音楽的感性はなお20年前のままだ。
 ファンは歳月が流れても古くならない彼の音楽の中で
 おぼろげな初恋の香りを思い浮かべ、ときめきと
 甘酸っぱいロマンチックがよみがえり、
 少女的感性に戻ったりもする。

 彼はずっとある女性に対する極めて純潔な愛を
 歌ってきた。6年間心から愛した女性、
 彼が音楽をするのが嫌で去った女性。
 初恋の彼女は別離の痛恨の苦痛とともに
 こんこんとわきでる音楽的インスピレーション
抱かせてくれた。
以後彼は5集まで次から次へと愛と別離の悲しみを歌ってきた。
しかし彼女が違う男性と結婚することで彼のミューズ(音楽の女神)は消えた。
5集「僕より少し高い所に君がいるだけ」「伝説の中の誰かのように」の曲を書き、
歌いながら彼女を完全に送りだした。これ以上彼女は彼が愛することが
できない人だったし、愛してもいけない人だった。「生まれ変わればこそ会える存在」
「伝説の中に葬られた存在」になってしまったのだ。ミューズが消えると、
詞が浮かばない。歌詞がまったく出てこなかった。そうしているうちに
最近久しぶりに「二度別れるということ」を書いた。
偶然に初恋の彼女の手紙を見つけた一瞬に勢いよく出てきた歌詞だ。
愛を歌うシン・スンフンにとって愛とはなにか。聞いた。

「本当に分からないです。音楽が何なのと聞かれて答えることができないことと
同じ
です。以前は愛というのは思いやりだと思っていました。
長い間他の人を愛さなかったことも一種の思いやりでした。
私と係わるスキャンダル記事が出ればもし彼女が見るかもと初めから
そんな余地を作らなかったんですよ。その友達が結婚したという話を聞いて、
『やっと違う愛に出会うことができる』と思ったのですが、簡単ではないです。
一人だけを見守った習慣が身についた
ようです

シン・スンフンの歌は悲しい。楽しい軽快な歌もシン・スンフンが歌えば悲しい
しかしその悲しみは20年前と今の歌を比べてみると種類が違う。
20年前は悲しみそのもの、あるいは未練でいっぱいの悲しみだとしたら、
現在の悲しみはあっさりとした悲しみと同時に透明な悲しみだ。
悲しいが悲しまない
「エイブルビ」を追い求めて来た結果でもある。
彼は「記述式の問題で『我が国で一番悲しいバラードを歌った歌手は?』
という問いに躊躇なしに『シン・スンフン』と言われる歌手になりたい
と言った。
よく歌手は歌に似てくると言う。悲しい歌を歌えば人生も悲しくもなるという。
歌にその人の人生の旅の行程・紆余曲折をそのまま歌う歌手がどれだけ多いことか。
しかしシン・スンフンは例外だ。彼にとって歌と人生は別だ
歌は悲しく、人生は楽しく」が可能だ。彼の知人たちは皆、
シン・スンフンは普段性格が明るく、ユーモラスだと口をそろえて言う。
彼は「音楽をする時はどっぷり入り込んで、上手に抜けだす」と、
永い時間をかけて習得した」と言う。
彼はこの間あるインタビューで「人生を歌う歌手になりたい」と言った。
裕福な環境で平穏に過ごした彼が人生を歌う歌手になると言う。
自ら経験の限界に縛りつけることではないか。
彼は太田で事業をする父親のもとで二人の姉と弟と共に何不自由なく成長した。
高校の時、父の事業の情況が悪くなり暮らしが傾き、大学の授業料を稼ぐために
ライブハウスを転々として歌を歌った。

そのころから彼はすでにスターだった。6年間ライブハウスで歌手として
活動をする間にもらったファンレターが7000余通にいたった。
彼の音楽性は両親から受け継がれた。彼の両親は歌の実力があり、
姉たちも小さいころ童謡大会を総なめにした。彼の両親はシン・スンフンに会うため、
2週間ごとにソウルに出てくる。彼にきいた。経験の限界でやってくるコンプレックスはないのか。

間接的な経験はとてもたくさんしています。映画もたくさん見て他人の話も
たくさん聞くでしょ。映画はロマンスからホラー、オムニバス、短編など
ジャンルを選ばずいろいろ見ます。またどんな席でもいくら面白くない話でも最後まで聞きます。我慢して見聞きすれば得るものもあるでしょ」

シン・スンフンをインタビューしながらもっともたくさん書いた単語は「まごころ」だ。
「最近とても忙しいが私の『まごころ』がファンたちに通じているようで、
疲れることはない
」「光州ゲリラコンサートの時、他の歌手たちは
大概3・4曲を歌ったのに、私が1時間20分の間コンサートをしたことは
ファンたちに私の『まごころ』をわかってくれたことに対してのありがたさだった」
「5集まで初恋の歌を歌うことができたことも『まごころ』でわきでたものだった」と。
また、こんなことも言った。「デビュー21年目の責任感はまごころの別名」だと。
デビュー以降ずっとトップの地位を守り続けてきたシン・スンフン。
彼にはとても大きい宿題が残っている。「大衆が好む名曲」を作ることだ。

「人々は『見えない愛』が名曲だと思うでしょうが、口ずさんで歌うのが
難しいなら名曲ではないでしょ。大衆の感性にまんべんなく訴えながらも
どの場所にも合って、簡単に口ずさんで歌うことができる歌
を作りたいです。
春夏秋冬の『ブラボー・マイ・ライフ』みたいに」

シン・スンフンは墓碑銘も考えてある。
歌を知っている歌手、ここに眠る
彼はわかりやすく説明した。
「『歌が上手な歌手』ではなく『歌を歌うことを知っていた歌手』だよ」

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いやぁ、知ってることも多いとはいえ、改めての偉大さを感じ取れた
そんな記事でした。

デビューして20年、頂点を極めてもまだまだ上の目標を持ち、
進んでいこうとするところが、やっぱりウリです。
墓碑銘も考えてるってのも「らしい」なと思う一面でした。

ところで、春夏秋冬の『ブラボー・マイ・ライフ』ってご存知でしたか?
そんな歌手すら知らなかったのですが、見つけてまいりました。
これ聴いてたら、メロディーが離れなくなってしまった
どの場所にも合うかどうかは私にはわからないですが、
メロディーは簡単に口ずさめます。

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